田中遺跡は弥生時代後期(約1800年前)に作られたとされており、兵庫県指定文化財となっています。
この遺跡は、大きさによって分かれており、地図の大きなほうが、一号墳丘墓、小さなほうが二号墳丘墓です。この地域の王とその一族の墓であるといわれています。
一号墳丘墓の直径は約19mで、県内の墳丘墓では1,2位を争う、とても大きな墳丘墓です。
なぜここまで大きな墳丘墓が有年にあるのか理由は未だわかっていません。
前方後円墳の起源?
この墳丘墓は円形周溝墓と呼ばれるつくりをしています。
このつくりは、縄文時代にはなく弥生時代になって作られ始められたものです。そしてこの墳丘墓には、突出部と呼ばれるでっぱりがあり、これが前方後円墳の起源かもしれないといわれています。
冒頭でも紹介した通りこの墳丘墓が作られたのが約1800年前。前方後円墳として有名な大阪府の大仙古墳がつくられたのがおよそ5世紀前後ですから、もしこの墳丘墓が起源だとすればとてもすごい話ですよね!
【大型装飾器台】
大型装飾器台と呼ばれる、墓に供えるための専用の土器が供えられています。よく見ると細かい装飾が施してあり、これは権力のある者の墓専用の土器であるとされています。
遺跡に置いてあるものはレプリカですが、出土された大型装飾器台は有年考古館にて展示されています。
【墓穴と埋められた木の棺】
墳丘墓の周りには溝が掘られており、その中には、おそらく家臣である人たちも入っていました。その他の比較的地位の低い一般の人達は、墳丘墓とは別の溝を境として埋葬されています。
写真は、子供用の大きさの小さな棺が埋められている様子です(復元)。これは一般の人用の墓場にあり、この時代の木の板はとても貴重なものでしたが、葬式などの特別な時には使われていたようです。
有年地区には強い権力を持つ王がいたこと、そして墳丘墓は前方後円墳の起源かもしれません。このような話があることから、有年は全国の歴史研究家から注目を受けている、考古学界隈ではちょっと名の知れた地域なのです。
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